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titotito’s blog

興味あるもの、生業としたもの、趣味のもの:grantmaking, inter-national-cultural-societal-sciences, loves; films, dogs, camping, eating, collecting; tenugui, playing cards, rock salts, books, beads etc.

とりあえずスポーツについて考えるブログ 『異文化・社会におけるスポーツ種目の斑模様』 その二

承前
2)生物的自然。生態系もしくは風土。
無生物界と生物界の合流する薄い地球表面周辺にある、汽水域のようなもの。
その1 芝生。
ついこの間まで、サッカー、ラグビーもほとんど芝生の競技だった。ローンテニス = lawn tennis から庭球という言葉が生まれた。
少し、語義を刈り込んでみたい。
芝生もしくは芝とは
lawn は ターフ = turfピッチ = pitchフィールド = fieldグリーン = green、といった日本でもよく聞く同義語もしくは類義語が多い。仔細は別の機会にしたい。
lawn の意味をOED = オクスフォード英語辞典では
「An area of short, regularly mown grass in the garden of a house or park」と
まず、area =(区切られた) 区画
次に、short = 短く
そして、regularly mown = 定期的に刈り込まれた
さらに、in the garden of a house or park = 家か公園の庭の中
と多くの限定をつけながらも、きわめて大雑把に、grass = 草
と説明している。
15.16世紀の中世から英語として使われ始め、18世紀半ばから定期的に刈り込まれたた草という現在の意味になってきたらしい。
念のため、他の辞典もみてみる。
Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus では、
an area of grass, especially near to a house or in a park, that is cut regularly to keep it short
Merriam-Webster では、
ground (as around a house or in a garden or park) that is covered with grass and is kept mowed
殆ど同じだ。
逆に言えば、芝が grass芝生が lawn ということになる。
雑草は weed で、grass は 牧草、芝、マリファナといった人間に近いヒトに馴らされた家畜ならぬ家草とでもいったらよいのだろうか。
要は、芝生ヒトの手間暇、金が掛かるもので、ましてや「自然」に芝が育たない環境、地域では膨大な手間暇、金が掛かる。芝生スポーツの国際化にとって人工芝とのハイブリッドはもとより、品種改良が大きな課題であったことは間違いない。一時代前、柔道の国際化にとってイ草の畳は阻害要因の一つだったのと同じだ。
サンフランシスコ講和条約、懸命に海外の社交界の仲間入りを果たすべく奔走した日本の商社員、企業戦士達が、僅かばかりの「余暇」の片鱗を味わいながら、腐心した彼の地での会員権獲得の延長に、日本での欧米諸国並みおもてなしとして奔走したのがゴルフ場の確保だ。黄色や薄茶のグリーンではあまりにも哀れだった。
元々日本に始まったものではなかった。大英帝国から英連邦にいたる芝生の歴史には幾多の論文があってもおかしくない。米大陸、豪大陸の初期植民者の開拓記録には芝生やメドウらしきもの新大陸に見い出したときの興奮や望郷の念、移植の労苦が垣間見られる。米国テレビドラマを見ていると、時に、そうした時代のトラウマが現在でも、前庭での芝刈り技術の蘊蓄や憧憬とし残っている様がみられる。
温帯や亜寒帯の地はともかく、米国南部はもちろんのこと、南アジアやサブ・サハラ・アフリカ諸国における気候を無視した、照り返しに輝くようなコロニアル建築とグリーンの風景をみると、人間のあまりの業の深さを感じる。
「The grass is always greener on the other side  隣の芝生が青い」という格言の由来を調べてみると、オクスフォードの格言辞典でも由来自体が書いてないとする記述が大半だが、ネットのサイトで目を惹いたのは、英語母語と思しき人が、緻密な長文をもって、光学的に、遠くなれば、緑はより緑にみえるので、原初的なことであり、問うても意味がないとした投稿をベースにした長い遣り取りだ。

緑がより緑に見えるのが原初的なものだろうか?
「文化的独善」といわないまでも「価値観」の陥穽だ。芝生がより青い、もしくは緑であることが優位であるとは古今東西において原初的なものだとはいい切れない
この格言には最後に「of the fence」がつく場合もあるが、その場合は「fence」の両側に「green」が一般的な情景になった「後」にできた格言だろうし、「of the hill」がつく場合は、そうした風景自体と風景観の登場、もしくは、牧畜での牧草の色による優劣観の登場以降といえよう。ここでは深入りは避けよう。
民衆にとってセレブに欠かせない当たり前の舞台背景であり、セレブにとっては当たり前の舞台環境としての芝生

芝生があっての環境の中でしかあり得なかったスポーツが、国際化によって失ったものは多いに違いない。それは丁度、柔道着がカラフルになり、グローバライゼーションと引き換えに、多かれ少なかれ失っていったものと似ているかもしれない。
しかし、翻って考えると、もともと芝生も、馴化された野外、野生だ
グローバライゼーションを待たずとも、ヒトにのために馴化されていない空間や場でのスポーツはそれほど多くない

その二 馬。

続く